The post オーストラリア移住体験記 ~出発編~ first appeared on Second Life in Perth.
]]>もともとこのwebサイトを作ったきっかけは、私たちと同じようにオーストラリアへの移住を考えている人への情報提供と思っていました。自分たちが数年前に移住を考えたときにネット上で「家族移住」という情報を殆ど見つけることが出来なかったので、その情報を発信できる立場になった私が発信しなければ、という思いがありました。
でも実際のところ、移住に関するハードルは実際に体験した者からして、とても高くて険しいものです。正直言って私たちが永住権までたどり着けることが出来たことは「信じられないほどの出会いの運の強さ」みたいなものがあったと思っています。
そう考えると無暗に移住を勧めるような情報発信は出来ない、という風にも考えたりもしました。ただ、ツイッターである方より「勧めるかどうかは置いといても体験記だけでもあれば参考になるという人はきっとたくさんいると思います!」という風に言われ、確かにそうだな、と思いました。なので、あくまで移住体験記として、ボチボチ書いていこうと思っています。
私は2013年にここオーストラリア・パースに移住してきて、ちょうど5年半ほどが経過しています。5年半というと、小学1年生が小学6年生に、中学1年生が高校3年生になるかと思うと長い年月ですね。
私が海外移住を検討し始めたのは、2012年の11月くらいです。当時16年勤めた都内の会社を辞め、香川県の高松市に引っ越してきて、次はどうしていこうかと考えていた時期でした。最初はもちろん地元高松で再就職をする、あるいは就職ではなく起業してみることを検討しました。
高松市のハローワークにも行ってみました。私がやっていた仕事はIT関係だったので、技能職として就職口もあるかと思ったのですが、ITの中でもちょっと特殊な分野のため、求人情報を見てみてもなかなか就職先がすぐ見つかるような雰囲気でもありませんでした。
また、このころアレルギー症状がひどく、なかなか通常の生活をするのが難しいくらいの状態でした。そんな中、無謀にも海外へ行ってみることも検討し始めました。
海外のことを考え始めた理由はいろいろあります。
少子高齢化の問題
自然災害の問題(地震・津波・台風・火山)
原発事故の問題
子どもの教育問題
政治の問題
根本的な解決方法のないもの、どうしても避けられないもの、当時の日本はいろいろな問題を抱えているように思えました。でもほとんどのものは5年経った今も変わっていないように感じます。自分がここでもう一度生活を立て直そうとしても、自然災害や政治の気まぐれなどで失われてしまう可能性も考えました。そしてもっと先、自分の子どもたちが大人になるころ、これらの問題がどうなっているか、良くなっている未来はあるのか、そんなことを考えたりしました。
もちろん、海外へ行くことのリスクについても考えました。自分たちは海外へ行った経験もほとんどなく、普段から外国語に触れるような仕事をしていたわけでもありません。そんな言葉も十分に理解できない状況で海外へ行くこと自体も大きなリスクだと思いました。海外で居住するにはビザが必要ですが、ビザを取る、ということも容易ではないようです。学生として過ごしている間は学生ビザで滞在ができますが、その後、その国で過ごすためには永住権やワーキングビザが必要になります。
主にインターネットで移住情報、永住権の情報などを調べて回りました。私が日本語以外の言語で、少しでも出来ると言ったら英語くらいなので、英語圏で移住が検討できるところを中心に検討を始めました。東南アジアも最初の頃は検討していて、値段の安さには惹かれるところがありました。ただ、子どもの教育の部分でちょっとネガティブな情報が多く、候補からは外しました。
結局、英語圏のオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどが候補に挙がってきて、カナダは気候が厳しすぎる(寒いの苦手)とか、ニュージーランドは環太平洋火山帯に属しているので、日本と同じく地震や火山などのリスクが決して小さくない点、などからオーストラリア一本に絞って検討を始めていました。
オーストラリアは、移民を積極的に受け入れている点から少子高齢化の問題は当時はまだ顕在化していませんでした。オーストラリアプレートのど真ん中に乗っているため、地震は数えるほどしか起きません。東海岸は環太平洋火山帯に面しているため津波のリスクはありますが、西海岸はそれもほとんど考慮しなくて大丈夫そうです。プレート境界から距離があるので活火山もありません。
オーストラリア西海岸のパースという街は、世界一美しい街と呼ばれるほどで、気候が穏やか、南極からの風が吹くので空気もキレイ、他の都市と隔絶している、という特徴があり、私たちは移住には最適、と判断しました。
海外移住ですから、どうしても避けられないのが英語です。週1回、とりあえず英会話教室に通い始めました。そして、オーストラリアではIELTS(アイエルツ)という試験が英語の評価に使われるらしい、ということを知り、日本でもこのテストが受けられるのかを調べました。たまたま高松から電車で1時間ほどの岡山大学で、2013年の1月にテストがあるということを知り、すぐ申し込みをして、練習問題を買いに行きました。
IELTSって、リーディング、リスニングだけでなく、スピーキングやライティングのテストもあるんですよね。ライティングは英作文を1時間で二本。スピーキングはテーマをその場で与えられ、それついて(もちろん)英語で2分間話すという部分があり、「出来るわけない!」と目先が真っ暗になったのを覚えてます。
それでもしどろもどろになりつつもテストは頑張りました。テストの結果はそれほど良いものではありませんでしたが、それでもこのテストを受けていたことで留学の手続きが多少スムーズだったことは確かです。実力を試してみることをお勧めします。(個人的には日本で受けるIELTSの方がスピーキングの採点が甘い気がします)
移住に関しては、日本のエージェントに相談しました。なにもわからなかったため、プランニングから、子どもの学校のことまで、いろいろとお世話になりました。その分びっくりするくらい料金も高額でした。もし留学だけと考えたらオーストラリア現地のエージェントならもっともっと費用を節約できたかなと思いました。ただ、家族移住となるとこどもの学校のこともあらかじめ準備しておく必要がありますし、スーツケース一つで移動するワーホリとは違い、日本からオーストラリアへ「引っ越し」となると現地のエージェントではサポートが難しい部分もある思うので、どっちもどっちですね。
プランニングは最初に私が学生としてオーストラリアに留学に行き、家族もそのビザに同伴するような形を取りました。英語学校とビジネス学校、トータルで1年の予定でした。その後、「どこかに就職できるように頑張れ」と。
自分としては移住に関する情報をいろいろ調べてから来たつもりではいましたし、エージェントとも移住のプランについて、いろいろと話し合ってはいたのですが、実際のところは移住してきてから知ったことがほとんどという感じでした。特にワーキングビザ、永住ビザの獲得のハードルの高さについては日本を出たときにはほとんど分かっていない状態で、自分でも呆れるくらい無謀な賭けに挑戦したな、と思うくらいです。
当時の私は「大変だろうけど努力してなんとかする」という風に思っていました。本当に何もわかっていませんでした。実際のところは英語の学習を始めて半年でネイティブのように英語が話せるようになるわけもなく、そんな英語もロクに話せもしない人をビザを出して雇ってくれるような会社など殆ど無いわけです。本当に努力でなんとか出来るレベルの状況ではないんです。
それでも私たちは覚悟を決めて、橋を焼いてオーストラリアにやってきました。2013年4月、私たちのオーストラリア生活、永住権への挑戦は始まりました。
*冒頭の写真はオーストラリアで最初に住み始めた家の前で撮ったものです。
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]]>The post オーストラリア移住に大切な5項目 first appeared on Second Life in Perth.
]]>永住権を出すのはオーストラリアの移民局です。ここ2年くらいは、政府として移民を受け入れることにそれほど前向きではありません。どちらかといえば「移民を多く受け入れると、オーストラリア国民の仕事がなくなる」という、移民が来ることによってオーストラリアにとって、ネガティブに作用するという風に考えている感じです。
もちろん実際は社会の色々な分野で移民が頑張ってオーストラリアの成長を支えていると思います。様々な国から料理人が来ているから、世界各国の料理を出すレストランがあるわけですし、街を歩いているビジネスマンを見ても、日本に比べて非常に人種のバラエティーに富んでいると感じます。
いま日本に住んでいて、オーストラリアに移住を考えている人、そんな人がこのブログを読んでいるかもしれません。私も2012年にあちこちのブログを読みました。でも、なかなか情報発信をしてくれる人が少ないですし、ブログで紹介されるケースが自分に100%当てはまるわけでもないので、なかなか情報集めが難しいと感じました。
私がいざ情報発信できる立場になっても、日々の忙しさの中、なかなかブログにまで手が回らないというのが実際です。それでも少しずつ、公開していきたいという気持ちはあるのですが。
今回は移住に必要な項目を5つ挙げてみたいと思います。
英語の重要さは言うまでもありません。こちらではみんな英語で喋ってます。日本人の英語アレルギーの強さは半端ないと思うのですが、私はこちらに来て実際に英語を使って生活しなければいけない立場に立って感じました。
日本の英語教育は、ダメだ。
日本の英語って、お勉強でテストでいい点を取る必要がある教科なんですよね。だから算数と一緒で間違ってはいけない。間違ったら減点される。そんな学習の仕方をしてくるわけです。だから間違って話すことを必要以上に恐れてしまう。でも実際のところ、英語は、
コミュニケーションのためのツール
です。目の前にいる人と英語があればコミュニケーションできますが、日本語しか喋らなかったらコミュニケーションが成立しません。観光地で物を買うくらいのカタコトでは、生活はしていけません。まずは英語の勉強、特に英語で話すことを勉強されることをお勧めします。
ビザ、これを話すと多くの人が「もうだめだ」と思ってしまうかもしれませんが、オーストラリアで暮らすためにはビザが必要です。ビザにはいろいろなタイプがありますが、永住権を得られないと、ビザが切れたタイミングで帰らなくてはいけません。
その永住権ビザを取る方法というのが年々厳しくなっています。これまではRSMSというオーストラリアの地方都市限定で獲得できるビザがあったのですが、今年のルール変更で、私の住んでいるパースは外れてしまいました。(パース周辺の小さな街ではまだ可能性があるそうです)オーストラリアの移民局のWebサイトにどのようなビザがあるか書いてありますので、是非確認してみてください。
永住ビザの獲得のためにIELTS(アイエルツ)という英語のテストを受ける必要があるのですが、このパス基準もだいぶ上がっています。ビザ獲得には英語も必須ですので頑張ってください。
上の話とつながるのですが、オーストラリアがビザを出す条件として、なにかスキルを持っているというのはとても有利に働きます。スキルについては、関連の学校を出ていることあるいは、4年以上の経験(この経験については、日本での経験でも構いません。4年という年数については私がビザを獲得した時の物で、変更があるかもしれません)というのを示す必要があります。おまけに、オーストラリアがスキルとして認めた項目のみ、適用になり、それが結構コロコロ変わります。なので、オーストラリアへの移住を目指す場合、若いうちから技術を身に着けておくこと、技術を生かした職業を選ぶことをお勧めします。このビザの観点から行くと、いわゆる営業職、事務職(会計が出来る場合は今のところOK)というのは、スキルとして認められないので、なかなか難しいところです。
当然オーストラリアに移住するためには資金が必要です。ポンと飛び込んでいきなりビザが出るケースはまずありません。私の場合、まずは学生ビザでオーストラリアに来て、現地で仕事を見つけて、ビジネスビザ、永住権ビザを獲得しました。
オーストラリアは日本に比べて「物価が高い!」と感じます。家族で暮らすとなると、お金が飛ぶように出ていきます。さらに、学生ビザですから学費を払わなければいけません。
かかる学費についてざっと紹介しますが、例えばTAFEというオーストラリア政府直営の職業訓練専門学校というところで、英語を学ぶ場合、週$300となっています(2018年現在)。もし半年通うと、
$300 x 26w = $7800 約 650,000円ほどがかかります。
こちらの専門学校を出て資格を取れば就職にはだいぶ有利ですが、だいたい仕事になる資格については卒業に1年から2年ほどかかるため、
最低でも1,200,000円、おそらくコースによって値段が違うので、3,000,000円ほどは必要だと思います。
こちらにTAFEの案内(日本語!)リンクを載せておきます。
2018 TAFE International Western Australia flyer – TAFE-western-australia-flyer-japanese.pdf
さらにお子様連れだとお子様の学費も払う必要があります(義務教育年齢のお子様がいる場合)。小学生の子どもの場合、英語が全く話せない場合にはだいたい年間$20000(2018年現在)、すなわち、年間で1,660,000円ほどがかかります。ご自身の学校代はこれと別にかかってきます。
学費だけではなく、これに家賃や生活費がかかってきます。ある程度の資金が無いことには正直厳しいです。
ビザを申請するときに、年齢が若いことは有利に働きます。ビザの申請時に申請者のスキルの状態、英語力、年齢などをポイント換算して、一定のポイントに満たない場合には申請すらできません。
若さは語学の学習にも有利だと思います。私のように40歳を過ぎてからいきなり英語をマスターしようとしても正直大変です。ただ、若いと逆に経験がなかったり、お金がなかったりするので、これについては、若ければ若いほどよい、というわけはないと思います。
あまりまとまっていませんが、とりあえず5項目を挙げてみました。実際にはこれに「意志」た加わるかな、と思います。石にかじりついてでもという決意が必要だと思います。「まぁ、取れたらラッキー」くらいの気持ちではなかなか叶わないかな、と思います。
今思うと私は自分の無謀さに呆れたりもします。実際にオーストラリアに飛び込んできたときには、こんなにオーストラリアで永住権を目指すことが大変だなんて全然理解していませんでした。
それでも「帰らない」という強い決意はありました。日本の家も車も何もかも売り払い、飛び込んできました。そういう気持ちの部分って案外大事かもしれません。
なにか聞いてみたいことがある場合には、Contact ページからお願いします。
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]]>The post オーストラリアでの予防接種 first appeared on Second Life in Perth.
]]>永住権を取ると、社会保障サービスに登録する必要があり、その際に子どもの予防接種履歴も提出する必要があります。
この手続きは一般の人はWebから処理することが出来ず、医者(GP)に行き、手続きをする必要があります。
今回、予防接種の履歴を出すために、GPに母子手帳を持参してアップデートしていただくようにお願いしました。
母子手帳に記載されている予防接種の名前は主なものには英訳がついていたのですが、一部英訳がないものもあり、それについては自分で翻訳も行いました。
母子手帳の予防接種履歴のページをコピーして、これでOKかと思ったのですが、
その日の夜、病院から電話がかかってきました。
「この日付はなんだ!」
母子手帳にスタンプされていた日付は 15.2.14 といったフォーマット。
オーストラリアの人にとって日付は D/M/Y で書くので、2014年2月15日 と読めます。
日本でははY/M/Dで書くんだよ、伝えたのですが、そうしたら
「2015年2月14日か?」と聞かれました。
。。そうか、ここの日付は和暦なんですよね。
H15年は 2003年なので、2003年2月14日だと伝えても、
どうしてもそのルールに納得してもらえず、結局翌日にわざわざ「和暦とはなにか」みたいなWebサイトを印刷して持参し、
各和暦の年に対応した西暦を私が手書きして、ようやく更新できました。
「和暦」ホントに日本以外ではチンプンカンプンですよね。
日本の文化なのはわかりますけど、ややこしいので西暦に統一してほしいです・・。
ちなみに、こちらのページを印刷して持って行ったら理解していただけました。
Japanese Calendar Conversion | East West Consulting K.K.
オーストラリアの予防接種のスケジュールをざっと和訳しました。
こちらについては、2018年7月現在ですので、将来変更になる可能性がありますので、ご注意ください。
Childhood immunisation schedule
| 生後 | Hepatitis B | B型肝炎 |
| 6-8週 | Diphtheria, tetanus, pertussis (whooping cough), hepatitis B, poliomyelitis, haemophilus influenzae type b (1 injection) Pneumococcal (1 injection) Rotavirus (drops in mouth) |
ジフテリア、破傷風、百日咳(百日咳) B型肝炎、ポリオ、ヘモフィルスインフルエンザ B型 肺炎球菌 ロタウイルス(口腔内滴下) |
| 4か月 | As above | 上記の物 |
| 6か月 | As above | 上記の物 |
| 12か月 (一般の子ども) |
Haemophilus influenzae type b, meningococcal C (1 injection) Measles, mumps, rubella (1 injection) |
ヘモフィルスインフルエンザ菌b型、髄膜炎菌C 麻しん、流行性耳下腺炎、風疹 |
| 12か月 (アボリジナルの子ども、早産、低出生体重、医学的に必要な子ども) |
Hepatitis A (1 injection) Hepatitis B (1 injection) Pneumococcal (1 injection) |
A型肝炎(1回注射) B型肝炎(1回注射) 肺炎球菌(1回注射) |
| 18か月 (一般の子ども) |
Measles, mumps, rubella, varicella (1 injection) only for those who received a MMR vaccine previously Diphtheria, tetanus, pertussis (whooping cough) |
麻しん、流行性耳下腺炎、風疹、水痘(1回注射) (MMRワクチンを以前に受けた人のみ) ジフテリア、破傷風、百日咳(百日咳) |
| 18か月 (アボリジナルの子どものみ) |
Pneumococcal (if not already given at 12 months) Hepatitis A |
肺炎球菌(まだ12ヶ月で与えられていない場合) A型肝炎 |
| 4 years Medically at risk |
Diphtheria, tetanus, pertussis (whooping cough), poliomyelitis (1 injection) Pneumococcal (1 injection) |
ジフテリア、破傷風、百日咳 ポリオ(1回注射) 肺炎球菌(1回注射) |
病気の名前や予防接種の名前はなかなかなじみのないものがほとんどなので苦労しますよね。
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]]>The post 移住から先のことを考える。 first appeared on Second Life in Perth.
]]>ずっと忙しい中にいると、自分は周りがキチンと見えているつもりでも、実は見えてないってことあると思います。実際に私もそういう体験があり、いろいろと反省することもありました。
そういう見えてない状態を少しでもクリアにするため、最近は少しでも「自分と向き合う」時間を設けて、これまでのこと、今現在の事、これからのこと、いろんなことを少し落ち着いて考えるようにしています。
自分はこれまで「とにかく永住権をとるまでは」とがむしゃらに突っ走ってきた感じですが、改めて振り返ってみるといろいろとおざなりになっている部分や改善していかなければいけないことあるんですよね。まるで料理に不慣れな人間が料理した後のしっちゃかめっちゃかな台所みたいな感じで「料理は完成したけど、後始末どうすんの?」という、そんなことを考えたりします。
ただ、すでにこの状態になってしまったことをグチグチ言っても仕方がないので、これからこれから、一つ一つ地道に片づけていくしかないと思っています。
何にでも当てはまるかもしれないですけど、ゴールってないんですよね。
永住権を取る前は「永住権の取得がゴール」みたいに考えていたところがありました。実際に永住権を取ることを目標に私たちはオーストラリアに来たわけですし、2013年当時でもオーストラリアの永住権を取ることは非常に狭き門で、当時の私たちにとっては、遥か遠くに見える山の頂くらいの大きな目標でした。
しかし実際に永住権が取れた後、ゲームソフトみたいにそこで「クリア」ということにはならないんですよね。今度は「オーストラリア永住者としてどう生きるか」というミッションがスタートし、休む暇もなくオーストラリアでこれからどう生きていくか、自分は、妻は、子どもたちは、ということを引き続き考えていかなければいけません。
永住権が取れたら少し休めるかな、という風に何の根拠もなく思ってたところもあったのですが、もちろんそんなことはなく、でもやっぱり少し走りっぱなしで疲れた自分もいて、少し自分と向き合う時間が必要だと感じたわけです。
さあ、これから第二章。少しずつ頑張っていこう。
The post 移住から先のことを考える。 first appeared on Second Life in Perth.
]]>The post 遅くなりましたが、2018年になりました。 first appeared on Second Life in Perth.
]]>年始にアップロードするつもりで書きを始めていたのですが、なかなか書き終わるまでに時間がかかり、6日になってしまいました。
ここ南半球オーストラリアで過ごす年越しも5回目になりました。オーストラリアは日本と季節が逆なので、この時期は夏。半そで短パンというラフな格好で過ごしてます。日本の年越しは寒くて、こたつやストーブが欠かせなかったのを思い出します。紅白歌合戦とかもなんとなく見てましたね。
オーストラリアの年越しはカウントダウンで花火が上がり、ワーッと盛り上がってすぐにおしまいという感じです。シドニーとパースで3時間の時差があるため、パースが年越しを迎える時間の3時間前にはシドニーは新年を迎えていて、なんか微妙に盛り上がりに欠ける気がします。日本の年越しは厳かな雰囲気で除夜の鐘が鳴り、神社やお寺に人が静かに集まる感じですが、ずいぶん違う印象です。
オーストラリアは年間通して祝日が少ないという事情もあり、私たちはだいたいこの時期は家族でキャンプに行ったりしています。2年前はキャンプ場で年越しを迎えました。

2017年は7月に念願のオーストラリアの永住権を得ることが出来たのが最も良いニュースでした。ここ最近は永住権の獲得条件も厳しくなる一方のようです。西オーストラリア州としてもオーストラリア全体としてもあまり景気が良くなくて、移民が増える=オーストラリア自国民の仕事が奪われる=移民を受け入れるなというロジックで動いているようで、ビザを取るにも特殊な技能を持っていて、英語がある程度できる人という条件を満たすことが必須になってきています。オーストラリアは海外を目指す人にとっては魅力的な地ではあると思いますが、ハードルは確実に高くなりつつある印象です。
私たち家族がオーストラリアに渡ってから永住権を取るまで4年3カ月でした。いろいろな方の話を聞きますが、人によってはもっと短期間の方もいるようです。ただ、我々は「ツテなし」「家族移住」「英語経験なし」というの非常に不利な事情を乗り越えての永住権でした。
これを言うとほとんどの人に驚かれますが、私たちがオーストラリアに来た時には、私はただの留学生でしたし、ツテどころか知り合いもいない状況からのスタートでした。パースという土地を選んだのは色々な理由があるのですが、いずれにせよ、オーストラリアに知り合いはいませんでした。以前に近所のイタリア系の移民の方と話をしたときにも、友達も家族も親戚もいない状況で家族で飛び込んできた、と伝えたところ「信じられん」という顔をされたのをよく覚えています。
我々はいきなり家族4人で飛び込んでいきました。あとから考えると正直無茶したなたと思います。海外、英語環境という突然の変化に自分だけでも慣れるだけで精一杯な状況です。40になってからまさか英語学校に通うことになるとは思いもよりませんでした。
でも新しい環境に慣れなければいけないのはもちろん自分だけではありません。当時11歳の娘は、英語が話せない子ども用のESLというクラスに通い始めました。これまで知っている英単語といえば色や動物くらい。そんな状況でした。もちろん先生やクラスメートにいくら英語で話されてもチンプンカンプン。それでも毎日一生懸命板書は書き写して帰ってきました。最初の頃は妻が娘のことを相当フォローしてくれましたが、自分から英語で話せるようになるまでは、当然ですがずいぶん時間がかかりました。
子どもがいるのといないのとでは移住のハードルもずいぶん違うのではないかと思います。自分とパートナーだけであればどこに住むか、何をするか、いつ引っ越すかなど、2人の都合でいくらでも決められますが、子どもがいると「学校」という縛りが付いて回ります。さらに、子どもは子どもでこれまた別の移住生活が待っています。そちらもフォローしつつ生活も新しく作り上げなければいけないというのは相当大変でした。
自慢してもしょうがないですが、英語経験もほとんどないままオーストラリアにやってきました。当時は英会話もまだまだ不十分で、先生がキチンとした発音で話してくれる分にはある程度聞き取れはしましたが、オーストラリアの癖のある発音にはずいぶん苦労しました。当時に比べれば今ではずいぶん話せるようにはなりましたが、自分で思っている「英語が話せる」イメージにはまだまだ程遠い感じです。
こんな「どう考えてもうまくいくわけがない」ような状態からのスタートと考えると、1年以内にビジネスビザ、4年半で永住権というのは早かったかもしれません。
今から考えるととても無謀な中、家族で飛び込んできたオーストラリアでしたが、幸運なことに永住権までたどり着くことが出来ました。最初は心配していましたが、2人の子どももすっかりこちらの生活に慣れ、楽しんでいます。問題は子どもたちよりも私の英語力の方かもしれません。
永住権が取れたことによって具体的な生活の変化というと、国から子育て支援金が少しいただけるようになったこと、Medicareに加入出来て医療費が負担されるようになことなどがあります。それ以外にもいろいろ権利的なものが得られたのもあります。
そんな中で自分にとって一番大きいのは「帰らなくていい」という安心感かもしれないです。4年で子どももすっかりオーストラリアの生活に慣れてきました。オーストラリアの学校生活にも慣れ、こちらでの将来を描くような年頃になりました。こういう中、ビザの関係で帰国しなくてはいけなくなったら、それはまた子どもたちにも間違いなく大きな苦労を強いることになるはずです。でもそういうことを考えずに、こちらで今後どう暮らしていくかに集中すればよい、というのは本当にありがたいです。
自分にとっては、これまでの永住権獲得までが第一章。そしてこれからは第二章、というつもりでまた新たな気持ちで頑張っていきたいと思います。

The post 遅くなりましたが、2018年になりました。 first appeared on Second Life in Perth.
]]>The post オーストラリアの永住ビザを手にすることができました first appeared on Second Life in Perth.
]]>本日は大きな報告があります。

私たち家族は、2013年4月に移住を目指してオーストラリアにやってきたのですが、
それから約4年3カ月後の2017年7月13日。
オーストラリアの永住ビザを、手にすることができました。
私がビジネスビザで働き始めたのが2014年。
その約3年後、今年1月に永住ビザの申請をしました。
それからビザが交付されるまで、約7カ月かかりました。
その間に選挙で政権が変わったり、オーストラリア政府が大々的な
ルールの変更を発表したり、大丈夫なのだろうか?と不安は常に頭にありました
6月になって健康診断を受けるように指示があり、
ビザエージェントからも「もうすぐだ」と、言われてはいたのですが、
それでも待つことしかできない歯がゆい気持ちをずっと持っていました。
13日の午前中、その時私はオフィスに一人でした。
ビザエージェントから永住ビザが交付されたというメールが届きました。
不意だったので、「え?本当に?」という、一瞬信じられない感じでした。
メールを読み返し、送られてきたビザの書類を見て、
慌てて妻に電話をしました。
「永住ビザおりたぞ!」
興奮しながら伝えました。妻も最初は不意の連絡への驚きで
「信じられない」という雰囲気でしたが、次第に喜びにかわり、
お互いによく頑張ったね、とお互いをねぎらいました。
電話を切った後、なんか胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
40歳で、英語もろくに話せずに、家族連れで海外移住を目指すなんて、
正直、ものすごく無謀な挑戦でした。
それでも友人に助けられ、偶然や運にも助けられ、
なんとか永住ビザを得ることができました。
永住ビザはゴールではなく、ここからがスタートだと思います。
今回は私が助けてもらい、ビザを出してもらいましたが、
次は私が誰かを助けられるよう、引き続き頑張っていきたいと思います。
2017年7月
永住ビザを獲得できたのは本当に色々な人に助けていただけたからに他ならない感じです。4年間一緒に働いてきた平田さん、これまで公私に渡ってどれほどサポートしていただいたか。
そして私の家族。妻は家族の屋台骨として4年間家を支えてくれました。
買える食材も、価格も大きく日本とは違う環境の中でも家族に安全でおいしい
食事を作ってくれました。家族みんなが新しい環境で大きな病気もせずに
過ごすことができたのは、彼女のおかげです。
妻のバックアップなしには到底ここでの生活は成り立ちませんでした。
彼女の笑顔に家族がどれだけ助けられたかと思います。
そして、子どもたち。この子たちがオーストラリアに馴染めなかったら、
やはり私たちは帰らなければいけなかったと思います。
いきなり英語環境というなかに放り込まれて、それでも徐々に英語を学び、
新しい友達を作り、自分なりの新たな楽しいことを発見していく。
子どもたちが「学校が好き」そう言えることにどれだけ励まされたか。
「オーストラリアに行く」と言った私たちの背中を押してくれた両親。
パースで出会ったあたらしい友人たち。多くの人に支えてもらって、
ようやく達成できたと感じています。
私たち家族は2013年、何のアテもツテもなくオーストラリアにわたってきました。
ここでは書きませんが、当時いろんなことを考え、妻と決意して移住を目指す
ことにしました。
はっきりいって多くの人の目には「無謀」と映ったのではないかと思います。
そして実際のところ、無謀な挑戦でした。当時も情報収集はしていましたが、
正直、ビザの事も永住ビザの事も全然わかっていませんでした。
もしその頃の自分が、今ほどのビザの知識とか、ビザ獲得へのハードルのことを
知っていたら、あまりのリスクの大きさに踏み出せなかったかもしれません。
オーストラリアで永住権を取るということは、私がオーストラリアの地に立った
2013年時点でもずいぶん難しくなっていました。
私がオーストラリアで永住ビザを取ることが、どれだけ大変なことなのかをちゃんと
理解したのは、実はオーストラリアに来てからでした。
自分では「大変でも何とかする」というつもりで来てはいましたが、実際のところ
自分ではどうにもならないことが明らかに多いのがわかったのも事実です。
オーストラリアのビザについて知識のある身近な人に聞いてみてもこれはちょっとした奇跡くらいの確率だと言われるくらいのものでした。
オーストラリアは日本と大きく違います。もちろん言語の違いもありますし、
制度の違いもあります。
英語に関してはやはり最初に感じた大きな壁でした。40年間ほとんど英語を
話すことがなかった人間が、いきなり英会話するように言われてもできるわけがありません。
最初は何をするにもとても苦労しました。買い物をしたくて商品が見つからないとき、借りている家に問題があり、不動産屋に連絡しなければいけないとき、学校の先生とお話ししなければいけないとき、いろいろな場面で英会話は必要です。
Face to Face の会話ならまだ多少はマシですが、電話でのコミュニケーションは
相当難しいと感じました。でも要件は伝えないといけないんです。
日本では英会話って生きてくうえでほとんど必要ないのですが、オーストラリアでは、英語でコミュニケーションできなかったら何をするにもとても苦労します。
移民の制度もだんだん厳しくなってきました。過去にさかのぼると大学卒業すれば永住ビザが取れる、2年働けば英語の試験もナシに永住ビザが取れる、そんな時期もあったようです。
今ではオーストラリアが指定する職業リストに掲載されている職業に指定年年以上の経験、あるいはオーストラリアの学校を指定以上の卒業資格を取り、さらにIESTSという英語の試験で基準となる成績を取り、ビザをサポートしてくれるスポンサーを探す、ここまでやって、ようやくビジネスビザです。永住権にはそれからさらに2年働く必要があります。
それぞれも低くないハードルをすべて超えないといけない、という感じです。
多くの人が様々な理由でビザが取れずに帰っていったというのも事実です。
そんな針の穴を通すような厳しい条件をすべて、無事クリアしてきたんだと思うと、
実は、私の家族は大変な強運の持ち主ではないかと思ってしまうくらいです。
永住ビザは手にしましたが、もちろん、まだまだこれがゴールではありません。
まだまだ英語も流暢とはいえないですし、(7歳の長男は非常に流暢ですが)子どもたちの進路も考えなくてはいけません。生活もまだ落ち着いているとは言えない状況です。
それでも「永住ビザが取れた」ことで、
これから先のことを考えるのがずいぶん楽になりました。
自分はオーストラリアでやっていくつもりでも、何らかの事情で、
ビザが切れたら、日本に帰国せざるを得ないわけです。
それが、今後は「日本に戻らなくていい」という前提で計画を立てられるので、
先のことを考えるうえでとても助かります。
先にも書きましたが、永住ビザはゴールではなく、
ここからがスタートだと思っています。
引き続き、パースで頑張っていこうと思いますので、よろしくお願いします。

The post オーストラリアの永住ビザを手にすることができました first appeared on Second Life in Perth.
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