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こんにちは、masaです。

年始にアップロードするつもりで書きを始めていたのですが、なかなか書き終わるまでに時間がかかり、6日になってしまいました。

ここ南半球オーストラリアで過ごす年越しも5回目になりました。オーストラリアは日本と季節が逆なので、この時期は夏。半そで短パンというラフな格好で過ごしてます。日本の年越しは寒くて、こたつやストーブが欠かせなかったのを思い出します。紅白歌合戦とかもなんとなく見てましたね。

オーストラリアの年越しはカウントダウンで花火が上がり、ワーッと盛り上がってすぐにおしまいという感じです。シドニーとパースで3時間の時差があるため、パースが年越しを迎える時間の3時間前にはシドニーは新年を迎えていて、なんか微妙に盛り上がりに欠ける気がします。日本の年越しは厳かな雰囲気で除夜の鐘が鳴り、神社やお寺に人が静かに集まる感じですが、ずいぶん違う印象です。

オーストラリアは年間通して祝日が少ないという事情もあり、私たちはだいたいこの時期は家族でキャンプに行ったりしています。2年前はキャンプ場で年越しを迎えました。

そんな中、迎えた2018年

2017年は7月に念願のオーストラリアの永住権を得ることが出来たのが最も良いニュースでした。ここ最近は永住権の獲得条件も厳しくなる一方のようです。西オーストラリア州としてもオーストラリア全体としてもあまり景気が良くなくて、移民が増える=オーストラリア自国民の仕事が奪われる=移民を受け入れるなというロジックで動いているようで、ビザを取るにも特殊な技能を持っていて、英語がある程度できる人という条件を満たすことが必須になってきています。オーストラリアは海外を目指す人にとっては魅力的な地ではあると思いますが、ハードルは確実に高くなりつつある印象です。

私たちのこれまでの4年8カ月

私たち家族がオーストラリアに渡ってから永住権を取るまで4年3カ月でした。いろいろな方の話を聞きますが、人によってはもっと短期間の方もいるようです。ただ、我々は「ツテなし」「家族移住」「英語経験なし」というの非常に不利な事情を乗り越えての永住権でした。

「ツテなし」

これを言うとほとんどの人に驚かれますが、私たちがオーストラリアに来た時には、私はただの留学生でしたし、ツテどころか知り合いもいない状況からのスタートでした。パースという土地を選んだのは色々な理由があるのですが、いずれにせよ、オーストラリアに知り合いはいませんでした。以前に近所のイタリア系の移民の方と話をしたときにも、友達も家族も親戚もいない状況で家族で飛び込んできた、と伝えたところ「信じられん」という顔をされたのをよく覚えています。

「家族移住」

我々はいきなり家族4人で飛び込んでいきました。あとから考えると正直無茶したなたと思います。海外、英語環境という突然の変化に自分だけでも慣れるだけで精一杯な状況です。40になってからまさか英語学校に通うことになるとは思いもよりませんでした。

でも新しい環境に慣れなければいけないのはもちろん自分だけではありません。当時11歳の娘は、英語が話せない子ども用のESLというクラスに通い始めました。これまで知っている英単語といえば色や動物くらい。そんな状況でした。もちろん先生やクラスメートにいくら英語で話されてもチンプンカンプン。それでも毎日一生懸命板書は書き写して帰ってきました。最初の頃は妻が娘のことを相当フォローしてくれましたが、自分から英語で話せるようになるまでは、当然ですがずいぶん時間がかかりました。

子どもがいるのといないのとでは移住のハードルもずいぶん違うのではないかと思います。自分とパートナーだけであればどこに住むか、何をするか、いつ引っ越すかなど、2人の都合でいくらでも決められますが、子どもがいると「学校」という縛りが付いて回ります。さらに、子どもは子どもでこれまた別の移住生活が待っています。そちらもフォローしつつ生活も新しく作り上げなければいけないというのは相当大変でした。

「英語経験なし」

自慢してもしょうがないですが、英語経験もほとんどないままオーストラリアにやってきました。当時は英会話もまだまだ不十分で、先生がキチンとした発音で話してくれる分にはある程度聞き取れはしましたが、オーストラリアの癖のある発音にはずいぶん苦労しました。当時に比べれば今ではずいぶん話せるようにはなりましたが、自分で思っている「英語が話せる」イメージにはまだまだ程遠い感じです。

こんな「どう考えてもうまくいくわけがない」ような状態からのスタートと考えると、1年以内にビジネスビザ、4年半で永住権というのは早かったかもしれません。

永住権が取れて

今から考えるととても無謀な中、家族で飛び込んできたオーストラリアでしたが、幸運なことに永住権までたどり着くことが出来ました。最初は心配していましたが、2人の子どももすっかりこちらの生活に慣れ、楽しんでいます。問題は子どもたちよりも私の英語力の方かもしれません。

永住権が取れたことによって具体的な生活の変化というと、国から子育て支援金が少しいただけるようになったこと、Medicareに加入出来て医療費が負担されるようになことなどがあります。それ以外にもいろいろ権利的なものが得られたのもあります。

そんな中で自分にとって一番大きいのは「帰らなくていい」という安心感かもしれないです。4年で子どももすっかりオーストラリアの生活に慣れてきました。オーストラリアの学校生活にも慣れ、こちらでの将来を描くような年頃になりました。こういう中、ビザの関係で帰国しなくてはいけなくなったら、それはまた子どもたちにも間違いなく大きな苦労を強いることになるはずです。でもそういうことを考えずに、こちらで今後どう暮らしていくかに集中すればよい、というのは本当にありがたいです。

自分にとっては、これまでの永住権獲得までが第一章。そしてこれからは第二章、というつもりでまた新たな気持ちで頑張っていきたいと思います。

2 thoughts on “遅くなりましたが、2018年になりました。

  1. Taichi matsumoto より:

    永住権の取得おめでとうございます。私は2017年の4月から留学のため、ブリスベンで暮らしています。先日、夏休みを利用してパースを訪れました。パースの落ち着いた雰囲気がとても気に入り、「こんなところに住めたらな~」と、Googleにて「パースに永住」とキーワード検索したところ、始め、奥様のブログがヒットしました。奥様のブログでmasaさんのことを知り、どういう状況で移住を決めたのか知りたくて、こちらにお邪魔しています。40代かつ英語ほぼゼロの状況での移住決意には驚きました。最初はお辛かったことでしょう。実は私も英語ゼロの状況でブリスベンに来ました。言っていることがわからない。自分が言いたいことが言えない。最初の3ヶ月はホームシックを通り越してウツ状態でした。masaさんの英語上達の記事は興味深く読ませて頂きました。息子さんの上達っぷりは更に興味深かったです。私の留学は1年間だけという決まりでして、3ヶ月後には日本へ帰国しなければいけませんが、その後も英会話を本気で取り組もうと思っています。私もパースに移住できたらいいなぁ。これからのご活躍をお祈りしております。

  2. Masa より:

    コメントありがとうございます。妻のブログも訪れていただいたようで、ありがとうございます!

    パースはとても生活するのには良いところですよ。空気も海もきれいですし、少し離れれば手つかずの自然に満天の星。日本の都会に慣れていると物足りなく感じるかもしれませんが、そういう自然や人混みが好きではない方にはお勧めです。

    英語には振り返ってみると上達しているのだとは思いますが、いまでもとても満足出来てはいません。やはり圧倒的に語彙が足りないと感じますね。最近英語で考える訓練をしていますが、なかなか思うようには行きません。

    残りの留学期間、楽しんでいってください~。

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