秦基博の「休日」の本当の意味に気づいてしまった日のこと
私がお気に入りのアーチストの一人、秦基博さん。
彼の2ndアルバム『Alright』に収録されている「休日」という曲について、
今更ながら(本当に今更ながら)ちょっと書いてみようと思う。
この曲はアルバムAlrightの中では10曲目に収録されていて、他のスピード感の
ある曲に比べるとスローで、楽器構成も大変シンプル。
私はどちらかといえば、シンプルな楽器の曲が好きというのもあるし、
日本人アーチストの中では最もお気に入りのLittle Crearuresの
ベース、ピアノ担当の鈴木正人さんがプロデュースということで、
当然、私にとってこの曲はこのアルバムの中で(ただでさえ佳曲が多いんだけど)
とても気に入っている曲。
1週間ほど前、5歳の息子を幼稚園に送っていった帰りに、
iPhoneでこの曲を聴きながら家に向かって歩いていた。
スッキリと晴れた日で、オーストラリアの広い青空を見ながら
長い下り坂を歩いていた。そのとき耳に入ってきた
「空の上からでも見えるよ」
という歌詞。
突然霧が晴れるような、この歌詞の意味が頭の中で弾けるような
感じがして、これまで「なんとなく」しか頭に入っていなかった
この曲の歌詞の本当の意味が一瞬ですべて分かった気がした。
その瞬間は、自分がその時までぜんぜんこの歌詞の意味に
気がついていなかったことへのショックが大きくて、
道の真ん中で呆然と立ち止まってしまったくらいだった。
「あ・・そういうことだったのか・・」
口に出してしまうくらい、本当に何年も気づいていなかった。
『休日』 → 本物の歌詞へのリンク
事故か病気かで、自分の恋人(妻)を失ってしまった男の休日の歌。
心の大きなより所を失った僕はいつもしゃがみこんでいて、
気づくと空ばかりを見ている。
君との思い出の中から、まだ抜け出せずに居る。
君が居ないことがまるで嘘みたいな日々。
花を育てるのが好きだった君、以前君が大事に育てていた花、
世話をする人が居なくなって、一度は枯れてしまった。
その君が好きだった花を、もう一度咲かせて君に見せたい。
空のはるか上、天国にいる君に見て欲しい。
僕は種を植えながら
「空の上からでも見えるよ」
と語りかける。
いつかまた(天国で)会える日まで、すこしの間、サヨナラ。
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こんな悲しい歌だって気づいてなかったなんて、
自分の鈍感さに腹が立ちます。秦さんごめんなさい。
でも、悲しい曲だけど、ますます好きになりました。
なんだろう、もっと親密になれた感じ。
そしてこの「休日」という曲を、自分で演奏してみたくなって、
最近ギターで練習をしている。
忙しくてなかなか時間が取れないし、ずいぶんブランクができて
しまったので、なかなか思うようには弾けないんだけど、
やっぱりギターを弾くのは好きなので、ゆっくりリハビリしている。
弾き語りにも挑戦してみているんだけど、泣きそうになって
しまう事もある。プロのミュージシャンの人はそういうことってないのかなぁ?
最後に、この歌詞の意味については秦さんに聞いたわけではないので、
本当に秦さんが意図したものとは違っているかもしれません!
2 thoughts on “秦基博の「休日」の本当の意味に気づいてしまった日のこと”
「休日」は、私も大好きな歌です。
アイ、鱗のあとに、ギターを練習して、弾けるようになった楽曲です。秦さんはadd9コードを多用しているので、独特な哀愁を漂わします
兄がオーストラリアツアー企画している旅行会社で、私も以前パース、ブリスベーン、シドニー、キャンベラに行きました…オーストラリアの空にもあう、いい歌ですよね。
大変遅い返信になってしまい恐縮です。
素敵なコメント、ありがとうございます!
秦さんの曲はそんなに難しいコードを使っているわけではないのに、
あの独特の雰囲気はなかなか出せないんですよね。
最近忙しくて全然ギターに触れてないので、また弾いてみたいと思います!
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