こんにちはmasaです。
本日は大きな報告があります。
私たち家族は、2013年4月に移住を目指してオーストラリアにやってきたのですが、
それから約4年3カ月後の2017年7月13日。
オーストラリアの永住ビザを、手にすることができました。
私がビジネスビザで働き始めたのが2014年。
その約3年後、今年1月に永住ビザの申請をしました。
それからビザが交付されるまで、約7カ月かかりました。
その間に選挙で政権が変わったり、オーストラリア政府が大々的な
ルールの変更を発表したり、大丈夫なのだろうか?と不安は常に頭にありました
6月になって健康診断を受けるように指示があり、
ビザエージェントからも「もうすぐだ」と、言われてはいたのですが、
それでも待つことしかできない歯がゆい気持ちをずっと持っていました。
13日の午前中、その時私はオフィスに一人でした。
ビザエージェントから永住ビザが交付されたというメールが届きました。
不意だったので、「え?本当に?」という、一瞬信じられない感じでした。
メールを読み返し、送られてきたビザの書類を見て、
慌てて妻に電話をしました。
「永住ビザおりたぞ!」
興奮しながら伝えました。妻も最初は不意の連絡への驚きで
「信じられない」という雰囲気でしたが、次第に喜びにかわり、
お互いによく頑張ったね、とお互いをねぎらいました。
電話を切った後、なんか胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
40歳で、英語もろくに話せずに、家族連れで海外移住を目指すなんて、
正直、ものすごく無謀な挑戦でした。
それでも友人に助けられ、偶然や運にも助けられ、
なんとか永住ビザを得ることができました。
永住ビザはゴールではなく、ここからがスタートだと思います。
今回は私が助けてもらい、ビザを出してもらいましたが、
次は私が誰かを助けられるよう、引き続き頑張っていきたいと思います。
2017年7月
お世話になった方々へのお礼と追記
永住ビザを獲得できたのは本当に色々な人に助けていただけたからに他ならない感じです。4年間一緒に働いてきた平田さん、これまで公私に渡ってどれほどサポートしていただいたか。
そして私の家族。妻は家族の屋台骨として4年間家を支えてくれました。
買える食材も、価格も大きく日本とは違う環境の中でも家族に安全でおいしい
食事を作ってくれました。家族みんなが新しい環境で大きな病気もせずに
過ごすことができたのは、彼女のおかげです。
妻のバックアップなしには到底ここでの生活は成り立ちませんでした。
彼女の笑顔に家族がどれだけ助けられたかと思います。
そして、子どもたち。この子たちがオーストラリアに馴染めなかったら、
やはり私たちは帰らなければいけなかったと思います。
いきなり英語環境というなかに放り込まれて、それでも徐々に英語を学び、
新しい友達を作り、自分なりの新たな楽しいことを発見していく。
子どもたちが「学校が好き」そう言えることにどれだけ励まされたか。
「オーストラリアに行く」と言った私たちの背中を押してくれた両親。
パースで出会ったあたらしい友人たち。多くの人に支えてもらって、
ようやく達成できたと感じています。
私たち家族は2013年、何のアテもツテもなくオーストラリアにわたってきました。
ここでは書きませんが、当時いろんなことを考え、妻と決意して移住を目指す
ことにしました。
はっきりいって多くの人の目には「無謀」と映ったのではないかと思います。
そして実際のところ、無謀な挑戦でした。当時も情報収集はしていましたが、
正直、ビザの事も永住ビザの事も全然わかっていませんでした。
もしその頃の自分が、今ほどのビザの知識とか、ビザ獲得へのハードルのことを
知っていたら、あまりのリスクの大きさに踏み出せなかったかもしれません。
オーストラリアで永住権を取るということは、私がオーストラリアの地に立った
2013年時点でもずいぶん難しくなっていました。
私がオーストラリアで永住ビザを取ることが、どれだけ大変なことなのかをちゃんと
理解したのは、実はオーストラリアに来てからでした。
自分では「大変でも何とかする」というつもりで来てはいましたが、実際のところ
自分ではどうにもならないことが明らかに多いのがわかったのも事実です。
オーストラリアのビザについて知識のある身近な人に聞いてみてもこれはちょっとした奇跡くらいの確率だと言われるくらいのものでした。
日本とオーストラリアの大きな違い。英語・制度
オーストラリアは日本と大きく違います。もちろん言語の違いもありますし、
制度の違いもあります。
英語に関してはやはり最初に感じた大きな壁でした。40年間ほとんど英語を
話すことがなかった人間が、いきなり英会話するように言われてもできるわけがありません。
最初は何をするにもとても苦労しました。買い物をしたくて商品が見つからないとき、借りている家に問題があり、不動産屋に連絡しなければいけないとき、学校の先生とお話ししなければいけないとき、いろいろな場面で英会話は必要です。
Face to Face の会話ならまだ多少はマシですが、電話でのコミュニケーションは
相当難しいと感じました。でも要件は伝えないといけないんです。
日本では英会話って生きてくうえでほとんど必要ないのですが、オーストラリアでは、英語でコミュニケーションできなかったら何をするにもとても苦労します。
移民の制度もだんだん厳しくなってきました。過去にさかのぼると大学卒業すれば永住ビザが取れる、2年働けば英語の試験もナシに永住ビザが取れる、そんな時期もあったようです。
今ではオーストラリアが指定する職業リストに掲載されている職業に指定年年以上の経験、あるいはオーストラリアの学校を指定以上の卒業資格を取り、さらにIESTSという英語の試験で基準となる成績を取り、ビザをサポートしてくれるスポンサーを探す、ここまでやって、ようやくビジネスビザです。永住権にはそれからさらに2年働く必要があります。
それぞれも低くないハードルをすべて超えないといけない、という感じです。
多くの人が様々な理由でビザが取れずに帰っていったというのも事実です。
そんな針の穴を通すような厳しい条件をすべて、無事クリアしてきたんだと思うと、
実は、私の家族は大変な強運の持ち主ではないかと思ってしまうくらいです。
まとめと、今後のこと
永住ビザは手にしましたが、もちろん、まだまだこれがゴールではありません。
まだまだ英語も流暢とはいえないですし、(7歳の長男は非常に流暢ですが)子どもたちの進路も考えなくてはいけません。生活もまだ落ち着いているとは言えない状況です。
それでも「永住ビザが取れた」ことで、
これから先のことを考えるのがずいぶん楽になりました。
自分はオーストラリアでやっていくつもりでも、何らかの事情で、
ビザが切れたら、日本に帰国せざるを得ないわけです。
それが、今後は「日本に戻らなくていい」という前提で計画を立てられるので、
先のことを考えるうえでとても助かります。
先にも書きましたが、永住ビザはゴールではなく、
ここからがスタートだと思っています。
引き続き、パースで頑張っていこうと思いますので、よろしくお願いします。
まるにんです(^-^)ブログ拝見しました!
読んでいて涙が出ました。
大変苦労されたのですね。
でも、やはり私が出会った時お二人から感じたパワーは本物でしたね!特に奥様に初めて会えた時は、こんな小柄なママさんがあんなパワフルな活動をなさってたんだ!と驚いたのを今でも覚えています(^-^)
私は熊本に来て5年、シングルマザーになって3年、毎日ヒーヒー言いながら過ごしてますが笑 やっと4月に転職した職場が人が優しく働きやすい所なので、居場所を見つけられた感じを受けています。
ご家族の人生の旅、これからも見守らせて下さいね、いつも励みにさせて頂いてます(*´꒳`*)
おめでとうございます。これからも幸運を祈ります。